"PAGES" に初めて対応したのは、1990年に発表された、"5587-G01"と同じ筐体の "5587-H01" プリンターでした。
そしてその翌年、1991年には、より小型で安価な "5585-H05" プリンターを発表しています。
"5587" プリンターは、A3 サイズの用紙までに対応していましたが、その結果、次のような課題がありました。
- プリンター全体が大きくなった。
- 高めの価格となった。
- 当時、A3 サイズのプリンターの需要は小さかった。
そこで、B4 サイズまでの用紙に対応し、小型化も実現した、別のプリンター・メーカー製の機構を採用して、"5585-H01" プリンターが企画されました。
私は、プリンターの製品企画の担当者として、営業部門のマネージャーの方から、PAGES コマンドに対応したソフトウェアを揃えない限り、お客様はレーザー・プリンターの良さが使えないのだから発表できないと発破を掛けられたことを、良く覚えています。
OS である J-DOS や、OS/2 を始めとして、IBM 製ワード・プロセッサープロである"DOS文書プログラム"、OS/2 用の IBM 製アプリケーション"Smartシリーズ" などのサポートを得ることができました。
ソフトウェア製品を開発する側から見れば、PAGES コマンドに対応すれば、そのソフトウェアがどれだけ多く売れるかという見方になるのは当然です。そのような目で見れば、開発の手間に見合うだけの成果を、プリンター部門から保証することは非常に困難です。それでもサポートを得られたのは、私に発破を掛けてきた営業部門のマネージャーの方からの支援によるものだったと、今でも深く感謝しています。
ただ、1991年は私にとっては大きな変革の年でした。世界中の IBMに「分社化」の嵐が吹きまくり、日本の開発部門の中では、真っ先にプリンター開発部門が、TEC 社(今の東芝テック社) との合弁会社に切り出されてしまったのです。
"5585-H01"プリンターは、秋の発表の直前に分社化という大きな荒波を受けました。私自身はその新会社に異動しなかったことによって、発表のための最終的な作業を行なえず、どうなることか心配しましたが、何とか発表に漕ぎ着けることができました。(新会社発足直後に、その社長に対して、このプリンターの発表の意義を説明に行ったことを、良く覚えています。)
アプティと名付けられた新会社からは、その後、PAGES 対応のレーザー・プリンターが次々と発表されていきました。
1992年には、最大 A3 サイズ対応の"5589-H01"、
1993年には、最大 A4 サイズ対応の"5584-H02"、"5584-G02" プリンターが発表されています。
この "5584-H02/G02" プリンターで、それまでの "PAGES" 対応のプリンターと大きく変わったことがあります。それは、解像度です。"PAGES" 以前の "5587-G01" から "5589-H01" までの解像度は、240DPI という日本のレーザー・プリンターに共通の値でしたが、"5584-H02/G02" では、360DPI という値に変わったのです。何故、わざわざインパクト・プリンターの2倍の解像度に変更したのかは、その場にいなかった私には不明ですが、プリンター機構部を製造する OEM メーカーから見れば、特殊な解像度のモデルを製造しないとなりませんから、製造コストには影響があったのではないかという疑問は残ります。
5589-H01 プリンター |
5584-H02 プリンター |
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